~ チョコレイト・シロップ ~3
暦が3月に変わり、明和近郊の遊歩道や公園に植えられた梅の花も盛りを越えて、そろそろ桜の花芽が膨らみ始めようとしていた。
この日もいつものように、明和小学校からの帰り道を日向と若島津は二人で歩いていた。
「お前、帰りにちょっとうちに寄っていけよ」と日向が言うので、若島津は自分の家までは遠回りになるが、日向の家に一緒に向かうことにした。
「ここでちょっと待ってろ」
家に着くと、日向は若島津を玄関に待たせておいて一旦中に入る。こんな風に、帰る途中に寄っていけ、と日向から誘われたことなど今まで無かったので、「どうしたんだろう」と若島津が不思議に思いながら待っていると、日向は小さな紙袋を持ってすぐに戻ってきた。
「これ。志乃さんに渡しておいてくれ」
「何?これ」
若島津が紙袋の中を覗いてみると、一見して手作りと思われるクッキーが入っていた。
「どうしたんだよ。これ」
「作った」
「誰が?」
「俺が」
「・・・ホント?お前、こんなもんまで作れんの!? すげー。お前、本当に器用なんだな」
しきりに感心してみせる若島津に、日向はこの友人が意外に手先だけは不器用で、工作なども苦手なのを思い出した。
「尊が大量にバレンタインのチョコレート貰ってきたからよ。お返しをどうしようかな・・・って考えてたんだけど、作れば安いかと思って。
母ちゃんに教わったんだ。だから・・・」
志乃さんへのお返し、と言って、日向はもう一度紙袋を若島津の胸へ押し付けた。
「分かった。姉ちゃんに渡しておく。・・・で?」
「あ?」
「で、俺の分は?」
「・・・何でお前の分、なんだ?」
「俺には無いの?作ってないの?」
「ホワイトデーって、女の子にお返しをあげるんじゃなかったか?」
「そうだけどさ。でも、日向が生まれて初めて作ったクッキーなんだろ?」
「うん」
「じゃあ、別に俺にくれてもいいじゃん。友達なんだし」
「・・うん?」
どういう理屈なんだか日向にはよく分からなかったが、どうせ沢山作ったのだから、嫌だと言う理由も無かった。
もう一度家の中に引っ込んだ日向は、新しく一つ袋を持ってきて、若島津に差し出した。
「ほら。ありがたく食えよ」
「サンキュー」
「味見したいなら、したいって素直に言えばいいのによ」
「だから素直に『くれ』って言ったじゃん」
若島津は受け取った自分の分も、大事そうに紙袋の中にしまった。
「でも良かったな。これで来年から女の子からのチョコレート、断らなくても済むもんな」
「あ、そうか。そういえば、そうだな」
「なんだよ。忘れてたのかよ」
「うーん・・。でも、俺はやっぱいいや。あんまり知らない子から貰っても、面倒だもんよ」
お前はその子を知らなくても、向こうはずっと見ているかもしれないじゃないか・・・と言おうとして、若島津はやめた。日向が要らないというのなら、若島津もやっぱり要らないし、来年も志乃に楽させることが出来る。それならそれで、何の問題もない。
「お前はどうしたんだよ。ちゃんとお返ししたのか?お前が貰えなかったなんてこと、ないだろ?」
「俺?・・・あーそういえば、してない」
「志乃さん、作ってくれてないのか?これから買ってくるのか?」
「いや、どうせ一個しか貰ってないし。どうしよっかな・・・」
「なんだ。意外にモテないんだな。お前・・・・いてっ」
若島津は無言のまま日向の両の頬をつねる。
「いてーな!・・・なんだったら、俺が作ったのでよければやろうかと思ったのに」
「いらねーよっ」
今年のバレンタインデーに一つだけ受け取ったチョコレートは、ふわふわとした焼きたてのホットケーキに、たっぷりとかけられた極甘のチョコレイト・シロップ 。
そんなことを言ったら「バカか、お前」と呆れられるのがオチだろう。
「じゃあ、俺帰るな」
あまり寄り道をしていると、空手の稽古に遅れてしまう。勉強にはうるさくなく、学校の宿題を忘れたくらいでは何とも言わない若島津の父親だが、空手の稽古に遅れることは許さなかった。
別れ際に若島津は日向を振り向いて聞いた。
「日向。・・・また今度、ホットケーキ作ってくれる?」
日向はいきなりの親友からのリクエストに目をパチクリとさせたが、一瞬後には破顔して答えた。
「いいぜ。また来いよ」
そして、「今度はシロップ、かけ過ぎないようにしろよな」と付け加えた。
END
2013.4.15
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